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サバイバル

2BRO.が好きでちょくちょく実況動画を観ている。最近のものではこれを遊んでみたい。隣り合わせの鹿と人肉。油断するまでもなく死ぬる。


#1【ホラー】兄者,弟者,おついちの「The Wild Eight」【2BRO.】

わたしならどのキャラを選ぶだろうか。性格的にはこの手のゲームでは死ににくい選択を心がけるのだけれど、あえてそこを外してゆくのもおもしろいかもしれない。

 

こういうの好きなんだろうな。


Ghost Hours - For You

掌篇 #1

 ぼくはかねてから小説家になりたいと考えている。かねてから、と書いたが、言葉の意味は知らない。それっぽいから使ってみただけだ。どこかでそんな文章を読んだ気がしたのだ。とにかくぼくは、小説家になりたいと考えている。だから小説を書く必要があるのだけれど、何を書いていいのかまったくわからない。いくら思考をめぐらせてもこれというものが浮かんでこない。才能がないのかもしれない。こういう場合、普通ならば書くための技術を学んだりするのだろうけど、それをやるとわざとらしい、退屈なつくりものが出来上がってしまうようでぼくは嫌だ。ぼくはあくまでぼくのオリジナリティを信じている。人まねなんかしたくないのである。これは作家として立派な姿勢ではないか。芸術家はみんなそういうものではないか。いや、お金は必要だ。お金は欲しい。だから死んでから認められるようなことはあってはならない。生きたまま評価されて、生きたまま金を受け取り、生きたままそれを使わなければ意味がない。なんのための人生だかわからない。なのでぼくは芸術未満の芸術、半芸術を志向して作品を書かねばならない。言いかえれば半商業主義。どちらに転ぶ気もないという意思の表明だ。しかしそうなると書くことが一層難しくなる。何を書けばいいのかさらにわからなくなる。キーボードを前に身体が固まってしまう。今みたいに。そしてなんとなくスマートフォンをいじりはじめる。最近はまとめサイトの巡回が日課だ。とても楽しい。焦る気持ちを抑えつつくだらないレスの応酬をなめるように読んでゆく。そして誤字や脱字に過剰反応する。なんだこの文章、ちゃんと書けよ。へたくそ。そうしてつつがなく一日を終える。つつがなくの意味は知っている。あれ、ちがう、そうじゃなくて。終えちゃダメなんだってば。ぼくは小説家になりたいんだから、小説を書く必要があるのだ。ぼくは今日もキーボードを前に呆然とする。いつか小説家になりたいな。そう考えながら。

現実に根ざした散漫

『グッバイ、サマー』(原題:Microbe et Gasoil)は地に足のついたファンタジーだ(もちろん異世界ものというわけではない。魔法も登場しない)。帰る家があることを前提に少年たちは旅立つ。だから境界を越えた後ももともとあった苦悩や葛藤が糸をひき続けるし、逃れられない。にっちもさっちもいかなくなったら引きかえすほかないのである。しかし多くの”行って帰る物語”がそうであるように、主人公ダニエルも通過儀礼としての冒険を経て変化と成長をとげる。散髪(逆モヒカンからの離脱)と着替えは、死とあらたな命のはじまりの明確な提示にほかならない。だからその直後、彼はとらわれてならなかった意中の女生徒の幻影を払いのけただけでなく、疑似的にだが射精にも成功するのだ。どうにもならない相手を前に戦おうとする姿勢や、終盤に見せた一撃もはっきりとそれをあらわしているといえよう。ただし彼を励まし導いたテオは、以前書いた『マイ・フレンド・メモリー』同様、メンターとしての役割を終えたことで物語からの退場を余儀なくされる。出会いと別れが紐帯によって固く結ばれているように、旅に見立てられた人生と両者もやはり切ってもきれない関係にある。思春期の終わりは肥大した自意識に客観性が持ち込まれた時おとずれるが、それはかつてのダニエルのように他者の目を気にし、彼らを慮って自己の振る舞いを決定することによってではなく、他者を見るその視線を自分自身に向けることで達成されるのである。住み慣れた町や代わりばえのしない日常、あるいは息のつまる生活との決別は、たとえ一時的なものであったとしても、迷走する若者の背を押し、彼らをひとまわり大きくするのかもしれない。そんなことより全員イブラヒモビッチシャキーラのくだりは笑った。ふと思ったんだがグッバイ、サマーってハローサマー、グッドバイに依拠して成立した邦題なのかね。

 

俺も着ぐるみの友達が欲しい。しかしこのMV、あらためて観ていたらベストキッドを思い出した。ダニエルつながりでもあるし、ちょっとおもしろいな。


American Authors - Best Day Of My Life

近況

新たな職場に通いはじめて数日が経過した。馴染むまでにはまだ時間がかかりそうだ。不慣れな環境にながく身を置くと平生よりも消耗するもので、わたしの場合は妙な時間に眠くなったり、普段なんでもなくこなしていることが億劫になったりしてそれとわかる。だからこの数日は思いきり眠ってブログの更新も怠けた。それでも本には目を通していたけれど。よかったのは丸谷才一著『山といへば川』とスザンネ・フィッシャー・リチィ著『樹(バウム)ー樹木の神話、医療用途、料理レシピ』くらいだろうか。丸谷氏の著作はそこそこ読んでいて、おそらく随筆が一番多く、次いで書評、小説と続く。『山と~』も随筆と書評の本だ。国内外、種々の著作を取り上げあれこれ論じていて興趣が尽きないし、新しく買う本の参考にもなる。ちなみにわたしは文章が褒められている作品を優先的に買っている。自分自身の筆力を向上させるうえでも、名文に触れる機会はなるべく多くもちたい。『樹~』は副題にある通りの内容。著者はドイツ人だが、チベット本草学をまなんだ経歴を持つ。もみ、楡、めぎ、とねりこなど、群生する樹木にまつわる説話や利用法が豊富に掲載されていておもしろい。創作をやる人間なら資料としても活用できるのではないか。それはさておき、俺は今からこいつを観るぜ。


ミシェル・ゴンドリー監督の青春ムービー!映画『グッバイ、サマー』予告編

同監督作品だと『エターナル・サンシャイン』(原題:Eternal Sunshine of the Spotless Mind)のみ視聴済み。登場人物の大半がろくでなしだったような気が。しかし日本版の予告ってなんでこう軽薄なナレーションを入れたがるんだろう。観ていて恥ずかしくなる。そうそう、岩波版ルバイヤートは翻訳がまずくて5頁も読めなかった。

らくがき

美術手帖をながめていたらむずむずしてきたのでペンタブを引っぱり出した。しかし思うように描けず。思うように描けたためしなど無いが。仕方がないので今回は古いものを置いて去る。明日から仕事だ。今後は更新頻度を低くする。f:id:recodiko:20170320231240j:plain

わが心の新居昭乃(敬称略)

はじめて聴いたのは『花のかたち』で、すでに就寝前だったわたしの耳にイヤフォンを通して流れてきた。ラジオ放送だ。わたしは文字通り布団をはねのけ、聴覚ごしに構築される異世界へとのめりこんだ。ずっと求めていた特別な音楽、それに出会えた気がした。そうして、日本にこんな曲をつくれる人がいたんだな、と、生意気なことを考えた。発表された音源の大半に触れた今でもその思いは変わっていない。さて、支度して本屋に行こうではないか。天気は悪くない。洗濯も終わった。すべてはあるべきとおりある。

 

Jack Garrattは歌い方が煽情的。好き。


Jack Garratt - Breathe Life


Jack Garratt - Surprise Yourself

眠りにつくまでもうすこし

美術手帖』4月号の特集、池田学氏とある。起きたら買いに行こうか。などと考えつつ岩波の『ルバイヤート』と『芸術新潮』を注文。『スカルプターのための美術解剖学 -Anatomy For Sculptors日本語版-』が気になるけれどもお高くて逡巡。そもそももう1年ちかく絵を描いていない。無駄な出費に。それはそうと『季刊S』ってまだあるのだな。創刊からしばらく買っていたのだが……球体関節人形の頁はいまも存在するのだろうか。

 

Finish Ticketは主旋律に癖があってよいのだけれども、編曲がどうも。好みは人それぞれだなあ。


Finish Ticket - Wrong (Official Lyric Video)


Finish Ticket - "Scavenger" [OFFICIAL AUDIO]