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現実に根ざした散漫

『グッバイ、サマー』(原題:Microbe et Gasoil)は地に足のついたファンタジーだ(もちろん異世界ものというわけではない。魔法も登場しない)。帰る家があることを前提に少年たちは旅立つ。だから境界を越えた後ももともとあった苦悩や葛藤が糸をひき続けるし、逃れられない。にっちもさっちもいかなくなったら引きかえすほかないのである。しかし多くの”行って帰る物語”がそうであるように、主人公ダニエルも通過儀礼としての冒険を経て変化と成長をとげる。散髪(逆モヒカンからの離脱)と着替えは、死とあらたな命のはじまりの明確な提示にほかならない。だからその直後、彼はとらわれてならなかった意中の女生徒の幻影を払いのけただけでなく、疑似的にだが射精にも成功するのだ。どうにもならない相手を前に戦おうとする姿勢や、終盤に見せた一撃もはっきりとそれをあらわしているといえよう。ただし彼を励まし導いたテオは、以前書いた『マイ・フレンド・メモリー』同様、メンターとしての役割を終えたことで物語からの退場を余儀なくされる。出会いと別れが紐帯によって固く結ばれているように、旅に見立てられた人生と両者もやはり切ってもきれない関係にある。思春期の終わりは肥大した自意識に客観性が持ち込まれた時おとずれるが、それはかつてのダニエルのように他者の目を気にし、彼らを慮って自己の振る舞いを決定することによってではなく、他者を見るその視線を自分自身に向けることで達成されるのである。住み慣れた町や代わりばえのしない日常、あるいは息のつまる生活との決別は、たとえ一時的なものであったとしても、迷走する若者の背を押し、彼らをひとまわり大きくするのかもしれない。そんなことより全員イブラヒモビッチシャキーラのくだりは笑った。ふと思ったんだがグッバイ、サマーってハローサマー、グッドバイに依拠して成立した邦題なのかね。

 

俺も着ぐるみの友達が欲しい。しかしこのMV、あらためて観ていたらベストキッドを思い出した。ダニエルつながりでもあるし、ちょっとおもしろいな。


American Authors - Best Day Of My Life