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未来予測?

電脳化によってデータだけの存在となった人類がネットワーク上で永劫の時を生きるなんて世界が実現されたとしたら、そりゃもうわたしは大喜びするだろう。停電で全滅したらもっと喜ぶが、さすがにそんなお粗末なカタストロフィはあり得ないかしらん。電力に依存しない、たとえば宇宙全体を満たす謎エネルギーを活用する技術が生み出され、管理運用や保守の不要なシステムが構築され、汲めども尽きぬ計算資源の海原を自在に往くことのできる時代が来るとして、つまりシンギュラリティが成り、オーバーテクノロジが四海を席巻し、人類が”拡張”されて人工知能との差異を超越し、たがいの区別もつかなくなった頃には、ぼくらはめいめい神となるのじゃないか。そして全能者として、パーソナルな空間で完全なる充足を、あるいは不足を享受し続けるのじゃないか。そこでは自分自身はもとより、他者も物も、空間も時間も思いのままだ。もちろん望めばありとあらゆるものを乱数的に生成できる。ありとあらゆるものが、自動で、もしくは無数の選択を経てぼくらの世界に配されるのだ。ヴァーチャルな存在として。そのことを(自己が認知する世界がそういった成り立ちで在ることを)自覚できるか否かも選択できるかもしれない。自覚できるならばそれは明晰夢のようなものとなるだろうし、無自覚であれば意識するまでもなく変容し最適化された世界を楽しむだけの話だ。許容できるストレスや外的刺激も変動するし、不都合も不条理も適度に、もしくは過少(過多)に示される。ぼくらは何ものにでもなれる。英雄にでも大悪党にでも無為の人にでも。いや、人ですらなくていい。まどマギよろしく概念としてあまねく偏在したってかまわない。何ものにもならなくたっていいだろう。リアルはいずれゲーム化する。我々は虚構と現実の境界線が消滅する様を目の当たりにすることになる。という背景がわたしの書くものの土台にあるという話。ファンタジーなんだけど。無自覚な神というとハルヒを思い浮かべる。

 

それはそうとこの映画、ようやく日本公開とあいなりましたな。ヴァイオレンス。


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