雑記帳

わたしのさくぶんおきば

不毛の調べ

わたしの周りには人生に対して後ろ向きな人間が多いのだが、彼らには共通点がある。勉強しないのだ。例えるならば、そう、まるでアップデートされなくなったOSのように変化しない。なので当然システムの不具合、セキュリティの穴は放置され、移りゆく時代に対応できなくなってゆく。当人たちが望んでそうなったかどうか、わたしにはわからないし正直なところどうだってよいのだけれど、ただ、彼らの多くが他者の足を引っ張ろうとしたり、自分のいる位置まで引き下げようと躍起になったりしている姿を見ているとむなしくもなるというものだろう。かといってその手の輩に向かってそれをすることをやめたまえなどと言う気は毛頭起きない。なぜなら彼らは得てしてかたくなだから。彼らはなんらかの信仰を持っている。それは失意教かもしれないし挫折教かもしれないし絶望教かもしれないが、とにかく非常に偏向した、情念と言って差し支えないほどの強烈なおもいを抱えている。既知の言葉、事や物の範囲でしか思考できないわたしたちにとって、学ばないという選択は人の魂をそんなふうに極端な世界へと放り込み、幽閉してしまうのである。

 

いつまでも同じ風景の中、いまある持ち物だけでやりくりしてゆく。そんな毎日が心地よい環境だってもちろん存在するはずだ。だが理不尽や不条理に包囲された者にとってのそれは生き地獄でしかない。覚悟がなければ通れないし、覚悟がなければ通るべきではない道なのだ。にもかかわらず、彼らは心を閉ざすことで自然とそちらへと流れていってしまう。しかし、わかっているはず。ほんの一瞬で人生を好転させるような都合のいい答えに出会える人間などそうはいないということを。たいがいは地味で地道な学習や訓練の積み重ねをくりかえして自己や世界をつくり変えてゆくということを。そしてそのために味わう苦難や、彼や彼女が自分自身となり、己の人生を獲得するために支払う労力がどれほどのものかは、そういった、いわば通過儀礼を経た者にしかわからないということを。わたしを支えているのも、試練の先に身につけたものだ。脳が沸騰するほど考えて、かけられた呪いを自らの手で解いたのだ。戦わなければ到達できない場所は確実にある。

 

ちなみにわたしは人生に対して前向きでも後ろ向きでもない。全方位型だ。