雑記帳

わたしのさくぶんおきば

眠るために眠る人

睡眠が作業になってしまっていた時期があって、その頃は、〇時間眠れば翌日辛くないな、とか、あと〇時間眠れるな、とか、〇時間しか眠れないじゃないか、とか、ああ、こんな時間に目が覚めちまった、とか、くそ、眠れない、とか、もう起きる時間か……まだ眠っていたい、とか、そんなようなことばかり考えていた。

 

眠らなければならない、だから眠る、という状態はわたしにとっては極めて不自然だったらしく、おおきな苦痛を感じていたと記憶している。

もちろん、外に働きに出ている以上、今でも睡眠と時間を、あるいは睡眠と起きた後のこととを結び付けて考えることはある。しかし、以前のように切迫した感覚はない。

 

理由としては二つ、ある程度時間にゆとりを持てるようになったことと、瞑想の習慣を持つようになったことが挙げられる。

一つめは単純に、転職してそうなった。

通勤の苦労を減らす目的で次の職を探したのだから、当然と言えば当然の帰結なのだが、その効果には素晴らしいものがあったといえよう。無意味に費やした時間と自身の愚かさも浮き彫りとなったが、それはまた別の話で、語る予定もない。

 

二つめ。瞑想。

マインドフルネスが取り沙汰されるようになって久しいけれども、あれは五感を駆使して”いま、ここ”に集中する技術だ。

ともすれば過去や未来、思惟懊悩に振り回されがちな意識を、現在、この瞬間ここに在る自己とその感覚に傾けることでリラックスさせ、休ませる。

 

就寝時にかぎっていえば、呼吸、肌に触れる衣服や毛布、布団の感触、重み、ぬくもり、におい、夜であればその暗闇と静けさ、外から吹き込む風、空調の音、うごめく生き物の気配(無論、人や愛玩動物の類である)などなど、”いま、ここ”で、それらすべてを享受することとなる。

 

わたしが気持ちよく朝を迎えられているのは、以前のように漠然とただ眠ろうとするのではなく、眠ろうとする自分自身に意識を集中させているからだ。いまではよりよい眠りを得るための前提条件となっている。

ちなみに寝具との相性に関しては困ったことがない。その点は恵まれている。

 

あったかいふとんでぐっすりねる!

こんな楽しいことがほかにあるか。

 

上記は野比のび太の至言だが、わかる。

 

と、元はここで記事を切るつもりでいたのだが、隣の部屋で複数人による読経がはじまった以上、わたしはそれを明記してから筆をおかなければならない。この壁のむこうに僧が。